2007年7月 9日 (月)

ロシアの毛皮

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白ロシア駅沿いの通りです。
通行人はいつものように何処かへ急いでいます。
ビデオ、CD屋の青い屋根看板やバス停につけられた広告の顔が見えます。

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写真には毛皮のコートと帽子姿の女性が写っています。
現在、毛皮製品に関しては特にヨーロッパで議論の的となっていて、
益々反対の声は大きくなっています。
しかしロシア人は冬になると多くの人が毛皮製品を身に着けます。

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ロシアで何年か暮らした、あるアメリカ人の言葉が思い出されます。

"毛皮反対を訴える人は、マイナス30℃にもなる
ロシアの冬の生活を経験してみて下さい。
大勢の人が意見を変えることでしょう。"

多分、彼の言葉は正しいと思います。
天気に関係なく長いこと外を歩かなくてはいけない場合も多いですし、
毛皮ほど極寒から救ってくれるものは他にないからです。

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2007年7月 7日 (土)

トヴェリ関所広場

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トヴェリ関所広場です。

ここの交通量はモスクワでも大変多い箇所で、ピーク時にはいつも渋滞しています。
写真でも沢山の車が見られますが、それに比べて歩行者はずっと少ないです。

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ここの近くには駐車場がほとんど無く、そのためドライバーは道端に数時間、
時には一日中、車を放置していきます。
勿論、通行の妨げになるのですが、ここは道がとても広いので
大きな問題になっていません。

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ここは何故か道が悪く、いつも補修工事が行われています。
写真でも修理が必要な部分が見受けられます。

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写真左側には看板が見えます。
小さな立て看板は毎朝道路に出され夜になると片付けられます。

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建物や柱に据付けられている看板も見えます。

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写真中央には巨大な看板もあります。

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写真上部には電線も写っています。
トロリーバスの電線です。
モスクワの何処でもトロリーバスが走っているわけではありませんが、
それでも多くの通りでトロリーバス用の電線が目に入ります。

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モスクワ中心部では更に路面電車も走っています。
これらすべてはソビエト時代からあったものです。

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2007年7月 6日 (金)

モスクワのガレージ

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テョープリィ・スタン通りにあるバス停です。
このバス停の名前は近くにある学校にちなんで≪サンボ-70≫と呼ばれています。
その学校は有名な体育学校で子供達がサンボを習っています。
サンボはソビエト時代に開発された格闘技のひとつです。

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それ程寒くない冬の日で、通りには水溜りが見えます。
この時間は交通量も少なく、写真でも車が一台走っているだけです。
しかし朝晩は多くの人や車が行き交います。

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バス停の手前の角には黄色い表示板が見えます。
表示板には停車するバス番号とそのバスの終着駅が記されています。

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道を挟んで住居が立ち並んでいます。
モスクワの典型的な住居で70年代に建てられたものです。
モスクワでは個人所有の1階、2階建て住宅はほとんどありません。
5階建て住居が主に建設されたのは50年以上前のことで、
その後、10階建て、20階建て、そして30階建ての住居が建設されされました。
モスクワの人口は益々増えています。

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住居の下にはマイカー所有者が自分で建てたガレージの列が見えます。
最近ではこのようなガレージから地下立体駐車場に変わりつつあります。

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2007年7月 5日 (木)

モスクワの朝

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モスクワの友人よりフォト・エッセイが届きました。
2児の母、仕事もして大学に通っていましたが、
昨日、見事に卒業を果たしました。
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モスクワの寒い冬の朝、列車が白ロシア駅に近づいています。
外はかなり寒いですが陽射しはあります。よくある冬の天気です。

しかし、時には10月に雪が降り、厚い雪が冬の間じゅう覆ってしまうこともあります。
外はマイナス20℃、-30℃、そして-35℃になることもあり、
そのような年には雪が溶け始めるのは4月末になってからです。

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又、滅多にありませんが雪が全く降らず、気温も0℃位の日が続くことがあります。
そのような朝には全く冬だと感じられません。

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列車は見たところ客車のようです。
多分、遠方からの列車で目覚めた乗客たちは
窓からモスクワの様子を眺めている頃でしょう。
彼らはまだ暖かい客室の中で寒さにちじこまることはありませんが、
プラットホームに降り立つ瞬間もまもなくです。

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もしもモスクワ近郊からの列車だった場合は個室は無く座席だけの列車です。
毎日、多くの人々が列車に乗ってモスクワに働きにやって来ます。
モスクワ以外の町で仕事を探すのが更に難しくなっているからです。
彼らは朝早くに起きて列車でモスクワまで数時間をかけて辿り着き、
仕事が終わると同じ座席だけの列車に乗り込んで家路に向かうのです。

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2007年4月17日 (火)

ロシアの信号機

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白ロシア駅近くの橋です。橋の下は車両や人が通過出来るようになっています。
ある人は仕事に、またある人は駅にむかって急いでいます。
この白ロシア駅からはモスクワ郊外のベットタウンやロシア遠方、
海外までつながっています。

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駅の売店では軽食やチョコバー、ガム、たばこ、ジュースなどが売られています。
かつてはお酒も売られていましたが、アル中の人を減らすためにモスクワ当局は
夜間のアルコール販売をまず禁止し、次に終日の販売禁止、
さらにモスクワすべての売店でのお酒の販売を全面禁止しました。
現在はビールなどの低アルコール飲料だけは販売されています。

駅周辺の店ではありとあらゆるものが売られています。
写真には祈祷用具やイコンを売る店が見えます。
モスクワを旅立つ人達はここでお守りとして好きなイコンを買い、厄除け、
仕事や人生の成功、健康を願います。
又、購入者の希望により特別な証明書も発行しています。
海外への芸術品持ち出し禁止の規定に違反してないことを
国境の税関で証明するためのものです。

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写真中央には一人の女性が歩いています。
彼女の手には"アルバート・プレステージ"のお店の袋が見えます。
アルバート通りに1号店を出店しようと計画して
店の名前もアルバート通りにちなんでつけられたものですが、
モスクワ当局との価格交渉で結局折り合いがつきませんでした。
このお店は化粧品や香水などで若者からお年寄りまで広く親しまれています。

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写真には信号も写っていますが、ここを渡るのは不便で危険ですらあります。
その原因は信号の整備不良です。
残念ながら整備担当の部署の人々は全くいい加減です。
ですのでモスクワではこのような危険な交差点がたくさんあります。

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白ロシア駅前のこの広場や通りは無数の人々をずっと眺めてきて、
口がきけるなら様々な歴史的出来事も語ってくれる、
ふとそんなことを思ってしまいます。

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2007年4月 2日 (月)

奇跡者聖ニコライ寺院

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トヴェリ関所にある奇跡者聖ニコライ寺院の建物が見えます。
この寺院の歴史にはとても興味深いものがあります。
19世紀中頃、有名な商人ラフマノフが所有していたトヴェリ関所の地に
古式分派信者たちの結社が創設され、
そこには木造の小さな礼拝堂と祈祷所がありました。

奇跡者聖ニコライ寺院はその木造の小さな礼拝堂のあった場所に建てられました。
建設は1914年に始まり1921年まで続きました。
1914年3月16日、旧礼拝堂で最後の祈祷式が行われイコンも運び出されました。
6月29日、モスクワ大主教が寺院建設の清めの儀式を行いました。

建設費用はモスクワ商工業を代表する人々(P.V.イワノフ、A.E.ルサコフなど)が
負担しました。
十月革命が起こる1917年には寺院の建物はほとんど完成していて鐘楼にも
鐘が据付けられていました。
しかし、仕上げの作業は遅れに遅れ、寺院の玉座の清めが行われたのは
1921年のことでした。
寺院での活動は14年間で幕を閉じ、1935年に閉鎖されました。

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1940年代になると寺院には地区の防空貯蔵庫がおかれ、
これは後に修理工場として利用されました。
1989年には修理工場の撤去が、1993年にはコンサート・ホールとして
改築することが決まりましたが、幸運にもこの決定は実現しませんでした。

1993年、寺院は音楽協会ではなく古式分派教会に引き渡されました。
初めての祈祷は1995年8月2日に行われました。

写真には寺院の前に小さな店や喫茶店、遊技場などが見えます。
これらは寺院の背景の景色としてはそぐわないものかもしれません。
特に店の名前を読んだり、遊技場の絵柄に注目すれば、
宗教的な観点から見れば間違いなく罪になる店です。

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しかし、これらは紛れもない今のモスクワを表しています。
アパートやお店、駐車した車、看板などが寺院を取り囲んでいます。

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深き信仰と無神論、古き伝統への回帰と現代文明の享受、
モスクワのどこでも目にすることができる光景です。

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2007年3月15日 (木)

白ロシア駅

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白ロシア駅はモスクワで最も古い駅の一つです。
と言っても駅に行けば19世紀後半と同じ建物を目に出来るわけではありません。
130年の歴史の中で何度も改修され、更に改名を繰り返してきました。
モスクワの駅でこれほど改名された駅は他にありません。
初めにスモレンスク駅、次にブレスト駅、アレクサンドロフスク駅、白ロシア・バルト駅、
そして1936年3月に白ロシア駅と改名されてからはこの名前が現在まで続いています。
1870年開設、1909年には早くも改築されています。

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白ロシア駅はトベルツカヤ通りとレニングラート大通り間の広場にあります。
この駅は鉄道でモスクワとロシア西部地区、白ロシア、リトアニア、
中央・東ヨーロッパ諸国をつないでいます。
主要のモスクワーブレスト間の路線は1871年には運行が開始されました。
この鉄道のためにモスクワではガス工場が建設され、
又モスクワとミンスクには鉄道修理工場が建てられました。

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白ロシア駅とその鉄道はモスクワやロシアの歴史・文化的出来事と密接に関わっています。
1928年の春、この駅でモスクワの人々はマキシム・ゴーリキーを迎えました。
1937年には飛行士チカロフとグロモフを、1938年にパパニンをトップとする
北極探検隊を迎えました。
そして1945年、この白ロシア駅には大祖国戦争の英雄である
帰還ソビエト兵達を乗せた最初の輸送列車を熱烈に出迎えました。
この戦争を生き抜いた人々を題材とした映画があります。
題名は、”遠い日の白ロシア駅”です。

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駅の建物の右翼では1938年から地下鉄、ベロルースカヤ駅の運行が始まりました。
1976年には増築され、古い建物の部分的改修もなされました。
毎日、3万人の乗客が白ロシア駅を利用しています。
白ロシア駅は現在、モスクワの主要駅の一つとして近代化の道を進んでいます。

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2007年3月13日 (火)

モスクワのバス停

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バス停でバスを待つ人を撮った写真です。
バス停に隣接したキオスクでは飲み物やタバコ、幾らかの食べ物が売られています。
このようなキオスクは夜でも開いていてバスを待つ人以外にもよく利用しています。

朝晩のラッシュ時には多くの人が仕事や家へと混雑しますが、日中の主な利用者は
年金生活者です。彼らは無料で公共交通機関を利用出来るのです。

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写真にも年配の人たちが写っています。
ベンチに腰掛けている人は多分、他の人たちよりもずっと長く待って
凍えているようです。
ベンチの上には掲示板があります。この掲示板にはガラスが嵌めてあります。
時刻表や祭日の路線変更のお知らせがしてあるのですが、
よく勝手にこのガラスへビラを貼り付けていく人がいます。
しかし掃除夫がやってくればすぐに剥がされてしまいます。
道のこちら側に見える電柱にもビラを剥がされた跡が残っています。
求職、部屋貸し、ペットの行方不明や預かってます、売ります、買います、
など様々です。
一方で掃除夫も毎朝しっかりとこれらのビラを剥がして行きます。
根気強く、それでも人々はビラを又、貼り付けて行きます。

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バス停の後ろには集合住宅がみえます。
建てられて数年の建物です。
モスクワでは急激な発展のもとで、このような集合住宅が無数に建設されています。
建てられた集合住宅の一室を買ったとしても、部屋には何も付いていません。
本当に何もないのです。窓もドアも自分で取り付けなくてはなりません。
それでも、すぐに入居者でいっぱいになってしまいます。

Window

写真に写っている部屋も自分で色々と工夫して住んでいる様子が伺えます。
どのベランダにもガラスが張られ、食料や物を置いたり洗濯干し場として
利用しています。

Brach

右端のベランダには看板が見えますが、その看板によりこの部屋には
お医者が住んでいることがわかります。
自分の部屋を診療所として利用することで、
診療所の賃貸料を払わなくて済むからです。
(賃貸住宅の家賃は現在、異常に高いのです。)
自宅で働けて上司もいない、このお医者にとっては都合の良いことばかりです。
しかしモスクワではほとんどのお医者は国立病院や私立病院で働いています。
お医者が自宅で開業していることも、このような看板が出ていることも珍しいことです。

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2007年3月10日 (土)

モスクワの掃除夫

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モスクワの友人よりフォト・エッセイが届きました。
2児の母、仕事もして大学に通う頑張り屋です。
今年卒業という忙しい最中に書いてくれました。
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外国語学部がある校舎前の写真です。

この校舎は外国語学部だけが使用している小さな建物で、
雰囲気はまるで家にいるかのようです。
ここはとても居心地が良く、生徒数も少ないため皆が顔馴染みです。
祭日には全員で何か面白いことを企画して楽しみます。
時にはダンス・パーティーに学部長や先生も参加して
果てしなく踊り続けたこともあります。

授業の休み時間、生徒たちは食堂に集まり
座ってお茶やコーヒーを飲んでいます。
そこでは英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語などが飛び交っています。
学生同士、様々な表現を友達に試して練習しています。

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校舎前の写真には掃除のおばちゃんが写っています。
このおばちゃんは長年ここで働いていて学校の誰もが彼女のことを知っています。
その年齢から既に年金生活に入っていなければならないのですが、
彼女は未だに働き続けています。
穏やかでとても親切なこのおばちゃんの仕事はとても大変です。
雪が降れば何度も中庭の掃除をせねばならず、その重労働の道具といえば
箒とスコップしかありません。

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モスクワの掃除夫は朝5時から働きます。
雪が強い日には休憩無しで働かなくてはなりません。
大通りは清掃車が入りますがそれ以外の場所は掃除夫の手作業です。
彼らの殆どは仕事のない地方からの出稼ぎか、教育を受けていない人や
年金生活者です。

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特に年金生活の人たちは大変です。
重労働にもかかわらず、年金だけでは食べていけない
年老いた人々が他に働くところも無く掃除夫をやっているのです。
年金生活者の多くが掃除夫、掃除のおばちゃんとして働いています。

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時に彼らと話をする機会がありますが、
中には高い教育を受け重役として働いていた人もいます。
彼らは誇らしく当時の仕事の思い出話をしてくれましたが、
生活への不満は語ろうとはしませんでした。

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