2006年7月 7日 (金)

冬のモスクワ / 笑顔のロシア

モスクワ写真、最終回です。

皆、いい笑顔です。

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では。

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2006年6月15日 (木)

日常のモスクワ / マクドナルド

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2006年6月 7日 (水)

日常のモスクワ / 昼休み

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写真を撮ってくれたロシア人の友人は
モスクワで働きながら二人の小さな女の子を育て
大学で勉強もしている頑張り屋さんです。

雪が残る屋外のベンチに腰掛けてみんな談笑しています。

寒いから建物の中で話せばよいと思うのですが、
マイナス10℃程度では暖かいと言うモスクワっ子には
寒くも何ともないのかもしれません。

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2006年6月 6日 (火)

日常のモスクワ / 聖なる酔っ払い

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モスクワの友人に頼んであった写真が届きました。

1年以上にわたってモスクワでの日々の生活を
デジカメで大量に撮ってもらったものです。

こちらやマイ・フォトでご紹介していきたいと思います。

まずは1枚目、
いきなり電車で酔っ払いが足元で寝ている写真です。

まわりの乗客もいつもの光景なのでしょうか?
誰も気にも留めていません。

奥では若者同士、老人同士が楽しそうに
しゃべっています。

日本の東京や大阪の夜の地下鉄と
変わらない?風景です。

ロシアの酔っ払いの方が寝方は大胆かもしれません。

では又。

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2005年12月16日 (金)

カポートニャ

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写真はモスクワ郊外からカポートニャと呼ばれる工業地帯を望んだものです。

ロシアの人気ベテラン・ロック歌手、
ガーリク・スカチョフのとても好きな曲があります。

歌詞の大体の意味です。(下手な意訳です。)

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トーマについての唄/ ガーリク・スカチョフ / 1999年

二十歳になったら、僕は家を飛び出そう -
彼はそう考え、そう夢見ていたのは僅か一年程前のこと.
しかし時はすぐ過ぎ去り、彼はトーマと出会いました.
彼は二十歳を過ぎても全く家を出て行きませんでした.

彼女はスーパーの七番レジで働いていました、
品物伝票を彼女に手渡すと突然、彼は彼女に尋ねました:
”失礼ですけど、あなたのお名前は?”
彼女は”トーマ”と答えました.
彼はトーマ無しには生きていけないことを理解しました.

カスピ海にでも行こうと彼はトーマを誘いました.
立派な水兵になるんだと彼女に力強く語りました.
彼女は彼を見ていました、何の表情を変えることもなく.
彼女の灰色の瞳には暗い炎が閃いていました.

ある夜、彼が彼女の家を訪ねたところ.
今日は彼女一人ではないことを知らされます.
台所ではトーマを撫でながらワインを飲んでいる
どことなく暗い男が座っていました.

何も言わずに、ふり返ると彼は出て行こうとしましたが
彼女が追いつき耳元で呟きました:
"これはアルメニアから来た私の兄よ”
しかし彼にはわかっていました、
彼女の裏切りを.

ドアをバタンと閉めると、彼は去って行きました、永遠に.
彼はトーマに何も聞けませんでした.
遠きカポートニャの駅に彼は消えて行きました.
一方でモスクワの何処にトーマが暮らしているのか
もはや知る人もいなくなってしまいました.
彼は永遠にカポートニャの駅へと消えてしまいました.
トーマも今どこで暮らしているのか、もはや誰も知りません.

http://oberiu.client.jp/rus/0506r/gariksukachev.rm

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だいたいこんな感じの曲なのですが
カポートニャの駅というのがよくわかりません。
早速、モスクワの友人に尋ねたところ、
カポートニャはモスクワで最も汚く、
低賃金労働者が多い危険な地域ということでした。

巨大な煙突からの煙で空気も悪く、下水設備もしっかりしていない為に
2000年には大規模な火災もあったようです。

カポートニャの駅へと消えて行く、という意味が少しわかった気がしました。

それでは。

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2005年12月 2日 (金)

ロシア人への質問 その2

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「演壇上のレーニン」 
アレクサンドル・ゲラーシモフ 
1930年、油絵





作品解説:http://www2.tokai.or.jp/oberiu/art/lenin.htm

彼女への質問の続きです。

”そうすると、普通のロシア人は当時もレーニンを信じてなかったの?”

”そうよ。みんな信じていなかったわ。”

”じゃあ、今、レーニンの顔が描かれた赤旗やバッチ、Tシャツ、時計、
ソ連国歌のCDなどが外人のおみやげとして人気で、
モスクワでもよく見かけると思うけど、それについてはどう思う?”

”レーニンもソ連国歌も赤旗も、何も感じないわ。ただの過去の遺物よ。
ほとんどのロシア人がそうだと思う。
一部例外の人はいるだろうけど、そんなに大勢ではないと思うわ。”

”ペレストロイカやソ連崩壊後の混乱期はみんなどうだったの?”

”兄は国の機関で働いていたけど、1991年に辞めたの。
そして個人会社で働き始めたわ。私は色んな場所で、色んな仕事をしたわ。
でも、とても良い時期だった。
したい事がなんでもで出来る、自由なんだということを本当に実感できたの。”

1965年生まれの兄、2児の母、大学生、仕事もしている妹。
2人ともモスクワの空の下、今日も元気に頑張っていることでしょう。

street photos :
http://www.streetphoto.ru/exec/?item=247&lng=en

それでは又。

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2005年11月26日 (土)

ロシア人への質問

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写真はロシアの友人の妹に撮って
もらったモスクワ郊外の様子です。





1973年生まれの彼女に以前、ある質問をしてみたことがあります。

”ソ連時代の生活はどうだったの?”

”ソ連時代はまだ小さい子供だったけど、色々覚えているわよ。
まず言っておきたいのだけど、絶対にあの時代には戻らない。
私達には自由がなかった。

みんな政治について語り過ぎることを恐れていたわ。
選択肢も限られてたし。
例えば、労働者の給料はみな同じ、彼らはちゃんと働こうが、サボろうが関係なかった。
だれも自分の為の仕事はなかったのよ。

でも、すべての人が同じではなかった。
共産党の指導者たちはもっといい暮らしをして、
お金もたくさん持って、海外まで行けた。
普通の人が海外旅行なんて考えられなかったのに。

子供たちもそう。
共産党員の子供たちは夏休みに素敵な保養地に出かけて行ったし、
教育面でも優遇されてたわ。

今では社会主義時代に戻りたがる人もいるけど理由はわかってるの。
当時は安い給料でも餓えることだけはなかったから。
老人たちの現在の状況は特に悪いわ。
なかには食べ物を買うお金すらないお年寄りもいるし。
ここでは40才を超えての就職は大変なの。

そんな状況でも、ソ連時代よりはいい暮らしになったと思う。
あくまで私だけの意見だけどね。”

続きの質問は又、後日。

それでは。

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2005年11月18日 (金)

恋のバカンス

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写真はモスクワ在住のロシア人の友人の妹に
モスクワ郊外の街を撮ってもらったものです。
(1、2年前のものです。)



1965年生まれ、同い年のロシア人の友人へメールで
質問をしました。

”「Каниклы Любви」
У моря,у синего моря со мною ты рядом,со мною...

昔、ソビエト時代にロシアでヒットした「恋のバカンス」という曲が
本当は日本の歌だって知ってる?

日本では当時のロシア語バージョンの曲を探している人が多くて、
よくオベリウにも問い合せがあるんだけど、全然見つからないんだ。
何か知らないかな?”

「恋のバカンス」ロシア語曲については、
山之内重美さんの”黒い瞳から百万本のバラまで - ロシア愛唱歌集
(ユーラシア・ブックレット31)
http://www.toyoshoten.co.jp/eurasia/index.html
に詳しい解説が載っています。

日本特派員だったウラジーミル・ツヴェートフがザ・ピーナッツの歌うこの曲の
テープをソ連に持ち帰り、モスクワのテレビ・ラジオ局に紹介、
ロシア語版レコードまで作ってしまいます。
これが大ヒット、ロシア人の誰もが知る曲となります。

ここまではわかっているのですが、当時歌っていたロシアの歌手名
がわかりません。
長年、曲名だけでCDを探してきましたが、ミスター・ツイスターという
ロシアのロカビリー・グループのCDに、この曲を再カバーしたものが
収録されていたこと位しかわかりませんでした。

返信:

”思い出したよ。
このロシア語曲はずーっと昔に聞いた覚えがある。
何年か前にはロシア語版と日本オリジナル曲が一緒に
入っていたCDがあって日本の曲と知ったんだ。

そのCDは今は手元には無くて、多分どこの店にも無いと思う。
で、ちょっと調べてみたんだが、当時歌ってたのはニーナ・パンテレーエヴァ
という女性歌手だったことがわかった。

下のサイトに詳細がある。
http://www.radiomayak.ru/archive/text?stream=schedules/71&item=19282

で、ニーナ・パンテレーエヴァのCDを調べてみたんだが、
「しあわせな恋の歌」(恋のバカンス)が入った彼女のCDが出ているとわかった。
手に入ると思うから又、他のCDと一緒に送るよ。”

「恋のバカンス」ロシア語曲は、「しあわせな恋の歌」という題名で
広くロシアに伝わっていたのです。
当時のソ連では恋のバカンスというニュアンスでさえも不謹慎だったのかもしれません。
ちなみに歌詞も無難なものに書きかえられています。

で、このメールがきたのが9月15日、そして未だ何も入荷せず。
ロシアで特定のCDを探すのは大変困難だとは承知していても、
いつ頃、何が入るか全くわからないというのは、なかなか辛いものがあります。

(CDなど予約ご注文頂いている皆様、申し訳ございません!)

それでは又。

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2005年11月17日 (木)

ブルー・ライト・ヨコハマ

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写真はモスクワ在住のロシア人の友人の妹に
モスクワ郊外の街を撮ってもらったものです。





同い年で1965年生まれのロシア人の友人からメールで
質問がきました。

”そう言えばずっと昔、小さかった頃に名前がわからないんだけど、
日本の女性歌手の歌を耳にしたんだ。
覚えているのは「ヨコガマ」という題名の曲があったというだけ。
1974年より遅いということはない。
多分、もっと前だったと思う。
日本では有名な歌手だったと思うんだ。
もしかしたら世界的に知られている歌手かもしれない。
その時以来、彼女の曲を聴いたことはないんだけど、
ずっと気になっていたんだ。
誰が歌っていたか、何か知っていたら教えてくれないか。”

返信:

”思うに、それは1968年、いしだあゆみのブルー・ライト・ヨコハマ
じゃないか。

http://columbia.jp/yokohama/ram/32619_01.ram
или http://columbia.jp/~ayumi/  (WMT или RA)

上のサイトにサンプルがあるから聴いてみてくれ。
当たってたらCD送ろうか?
では又。”

返信:

”おお、そうだ!彼女だよ!
CDは知り合いのモスクワの輸入商社から手に入ると思う。
本当にありがとう!”

ソビエト時代にいしだあゆみの歌がラジオかテレビで流れてた?
NHKの紅白歌合戦?
ブルー・ライト・ヨコハマのようなメロディーはロシア人好み?
そういえばザ・ピーナッツの「恋のバカンス」はソビエト時代に
カバーされて大ヒットしたらしいし...。

そこで、逆に「恋のバカンス」について訊いてみることにしました。

「恋のバカンス」については又、後日。

それでは。

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